失業問題の対処−価値の減損
失業問題の対処がどうして困難なのでしょうか?通常初対面の相手の質問は:“あなたの仕事は?”私たちの価値観はどんな仕事をしているかにかかっているように見えます。仕事が本人の身元になりつつあり、仕事と自己価値が同一化しつつあるため失業したり職業転換に対面した時、自己価値を無くしたように感じるのです。
失業問題の対処−個人的危機
失業問題に対面した人は身元も一緒に失ってしまうようなものです。私は25年以上働いた職業を大けがが原因で失くしました。大けがの結果自由が利かなくなった体が原因で、新たに仕事に就くことができませんでした。プライドと充実感と、価値を置いていた教育も、経験も、職業在任期間も、持っている能力も、これ等全てを失いました。
私にとって重要であった全てのものは一瞬にして価値の無いものとなりました。失業と同時に、仕事以上のものを失ってしまったように思い、心は掻き乱されひどく落ち込んでしまいました。人生の方向性も見失い、無能であると感じ、一体なにをしてきたのか、自己価値は谷底に突き落とされ、人生の価値を見失い何もかも意味が無くなってしまったのです。
聖書の中で同じような思いを経験した人がいます。伝道の書1:2では、“日の下で人が労する全ての労苦は、その身になんの益があるか…空の空、いっさいは空である。”同感です!
失業問題の対処−有益な訓練
私の失業問題の対処の道程は訓練で満ちていました。神が私の状況を気にかけていたか分かりません。しかし、本当に心からもっと神を知りたいと思いました、神に願う前に私の方策は尽きていたのでそうしなければなりませんでした。神の光の尊厳の前には、私の価値は無益であることも発見しました。同様に私の価値は私自身の中にあるのでもなく私の実績でもありません。 真の私の価値は、神が私をどのように見ているか、私をとおして何をして欲しいかにあると発見しました。
ついに神の声に耳をかたむけた時、神は御自分の創造である私の能力に価値を見出すのではないことを教えて下さいました。神は私の業績に目を留めることはしません、真実は私自身では全くないのです!私の重要性は仕事を始めたときでもその終わりでもありませんでした。失業が原因で完全なる人生の重要性の発見‐神の目的と意図は神御自身のものである。私の職業は終ったかも知れません、神の新しい導きに目を向けた時、新しい完全な世界が私を待っていました。私を創造された神の目的が成就されるために準備は整い、新しい思考に入れ替えて失業に対応することができたのです。
神の方法は全く私の方法とは異なりました。私の経験から得た教訓は神の方法の前に自分を捨てた時でした、私は喜んで神の御前に佇みます。人生を神の御心に喜んで服従した時(私のそれとは比較にならない!)、ピリピ人への手紙にあるパウロの言葉の真実性を発見したのです“しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それはわたしがキリストを得る為であり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づく神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである”3:7−9.
失業問題の対処‐あなたへの神の計画
どうしたらあなたに用意された神の計画を発見することができるのでしょうか?失業の苦しみをしなければならないのですか?もしかしたら既にその経験をしているかも知れません、ですから今あなたは準備を整えてください。準備のための摘要のアドバイスやインタビューの技法を提供することはできません、しかし創造主は以前あなたが考えたことのあるどんな判断より勝るあなただけに与えようとしている考案があるのです。今直ぐに神に聞いて見ましょう。イエスをあなたの人生の指導者として、あなただけに用意されているはずの人生を発見しましょう。
エレミヤ書29:11によると、“‘主は言われる、わたしがあなた方に対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなた方に将来を与え、希望を与えようとするものである。’”