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(恐れの克服 ・ム。シ・ネ1、ォ、鯣ノ、・)
恐れの克服−あるひとの話
私は、恐れを克服するように教えられたことは一度もありませんでした。むしろ小さい頃から、恐れとは私の中に深くしみこんだものでした。私の両親はどちらも信心深い人でしたが、その信仰は異なるものでした。カトリック教徒だった父に主権があったため、わが家ではカトリック教義に則した生活を送っていました。家庭と教会の教えから、私はいい人間でいなければならない、さもなくば私は地獄に落ちる、と信じるようになりました。これは、すべては死と地獄につながっているという恐れを生じさせるのに、十分なものでした。それはまるで泥沼の中で生きているようなものでした。懺悔、悔い改め、罰が私を救ってくれるはずでしたが、それはいつも長続きしませんでした。死に関しての霊的理解は一切なく、私が聞いたことは死への恐怖を増すものばかりでした。
13歳だった頃のある晩、ちょうど眠りの中に吸い込まれていくとき、私は「もし眠ると死んでしまうぞ!」という声を聞きました。誰がそういったのか確かめるために、私はベッドの上に起き上がりましたが、そこには誰もいませんでした。そこで、悪い夢だったと自分に言い聞かせて、もう一度横になりました。また眠りにつこうとしましたが、もう眠ることはできませんでした。私は冷や汗をかき、震え始めました。大きな声で母を呼ぶと、母が走ってやってきました。そして私の横に座り、私を抱きしめてくれました。何があったかを母に話すと、母は私をなだめて、安心させ、私の隣に横になると、一緒に眠りにつきました。目が覚めてから、私は考えました。「ああ、すっごく変な感じだった。現実感があったけど、でもまだ生きている。死ななかったんだから、それはそれでおわりだ!」ところがおわりではなかったのです。事実、それはその後20年間続きました。いつ起こるのかは予想できませんでした。毎晩起こる、というわけではなく、いつも私が油断しているときに起こりました。そして私をひどい恐怖に陥れました。私はもう母を呼ぶことはありませんでしたし、これらについては誰にも何も話しませんでした。
20代前半の頃、私は教会に行くのをやめました。このような泥沼に私をとどめておくような、愛のない、不親切な、にもかかわらず厳しく、喜ばせることのできない神に対して、私は腹を立てていました。教育学で学位をとった後、私は教育カウンセリングの修士を取りました。心理学について多くのことを学び、すべての心理学の授業で答えを見つけようとしましたが、恐れに打ち勝つ方法を見つけることができませんでした。30代前半になると、恐れは私の人生を妨害し始め、またそれは多角化し始めたのです。平安はどこにもなく、どんなに忙しくしていても、それは恐れに基づいた思考を止めるのに十分ではありませんでした。
ついに、私の兄弟のひとりが、私のそばに座ると言いました。「聖書の神は、私たちが子供の頃に学んだ神ではない。私たちは自分で聖書を読むべきだった。そうすれば、私たちも神のことを違った目で見ることができたのに。神は本当に私たちを愛しているし、私たちを癒してくれる。そして私たちを解放してくれる。」私の中に小さな希望が生まれたのはこのときが初めてでした。その小さな希望は、答えを見つけるために私を聖書に向かわせるのに十分なものでした。私は再び教会に集い始めましたが、私の両親の宗派には集いませんでした。恐れが私の人生を支配していたのは、私が恐れに私自身を支配させていたからである、ということを知るようになるまで、聞くこと、学ぶことに数年を費やしました。神の意思とは、私が何かを恐れることではない、ということをついに理解しました。むしろ、神は私が神を信用して頼ること、そして神とともなる永遠の存在に確信を持つことを望んでおられるのです。
ある晩、眠りにつこうと横になっていると、私は再びあの声を聞きました。「もし眠ると、死んでしまうぞ!」このとき、私はベッドのうえに起き上がって、自分が聞いたことを信じるべきか、それとも聖書から学んだことを信じるべきか、と考えました。恐れそのもの以外には、失うものは何もないのだ、と決めました。初めて、私は自分の恐れを認め、その恐れに対して口を開きました。「それは嘘だ。最初の日から、それはずっと嘘だった。私を苦しめるのももうおしまいだ。私の命は神の手の中にあるのだから、私は今夜死なない。もし神が私を連れて行くことを選ぶなら、死ぬことだってかまわない。その先に何があるのか知っているのだから。この嘘、そして平安を奪うすべての嘘にはもううんざりした。神のおっしゃることと一致しない恐れに屈するのはもうやめた。私は自分の思考を今夜限りで変えてしまおう。私の思考は、これをもって公式に再建され、神の支配下となる。」恐れはこの攻撃に反撃しようとしましたが、今度は私は違う声を聞きました。「悪魔はあなたの微笑む顔を見るのが嫌いだ。微笑んで、横になって眠りなさい。あなたは悪魔を困惑させるだろうから。」私は微笑むと、主に心から感謝して、横になり、眠りにつきました。
そこですべてが終わったでしょうか?すべての恐怖は克服されたのでしょうか?そうであると信じていますが、私の思考の戦いはさらに数ヶ月続きました。古い、恐れに基づいた考え方に私が反応しているときには、それとわかるように、主は誠実に助けてくださいました。毎回、私の頭の中にあることを信じるのではなく、代わりに神の言葉を信じる選択を意識的にしていきました。ヨハネ8:31−32には、「…もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、心理はあなたがたを自由にします。」とあります。初めてベッドの上に起き上がって恐れを克服してから、すでに30年が過ぎました。恐れに新たな機会を与えないよう、その30年を過ごしてきました。聖霊の助けによって、私は自分の信仰のシステムを守っています。
今、恐れに苦しんでいますか?詩篇34:4には、「私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。」とあります。神はあなたを解き放ちたいと願っています。ですから、神に訊いてください!その恐れを神のところへ持っていったらいかがでしょうか?もし今まで神との関係を持たずにいたのなら、今その関係を始めることができます。いかなる恐怖の克服もできるはずです。しかし、まず神の子供となることが要求されます。そのためには、たった一つの祈りだけでいいのです。
今祈りましょう
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