強姦の被害者‐仕事の面接から問題が
世界各国から大勢の強姦被害者がその経験を分かち合ってくれます。ある人の経験を読んで熟考して見ましょう。
漂う空気は春を知らせ、長い冬のうたた寝から目覚めた花々は土を押しのけて顔をのぞかせていました。鳥たちは帰ってきました、日はさんさんと降り注ぎ、春に咲く花の香りが大気を破るようにそよ風の中から匂ってくる季節でした。
現在働いているファーストフードチェーンの給料より割の良い家庭清掃の面接に、私は心のときめきを覚えながら急いでいました;多分これが私の仕事なんだ。地域新聞の求人欄に連絡して面接日を決めました。
両親の車を走らせ指定された場所に着きました。近所のアイスクリーム屋の駐車場でその人に会うはずです。夕方なので雇用者の家を見つけるのは難しいから、私が連れて行ってあげる、と彼は言いました。彼の車に乗り込むと車は即座に走り出したのです。
二人で話をしていた為に、どこをどのように走っていたのか注意していませんでした。そしてどんな内容の仕事かまた何時間働くことが出来るのか質問しました。まだ学校に行っているのでまず第一優先が勉学です、フルタイムで働くことは出来ないことを彼に伝えてもあまりはっきりした答えはありませんでした。
車が走っている間、心の中で目的の家は一体どこなのだろうと訝しく思い始めていたのです。彼の車が近くのガス会社の駐車場に入ると、私は何となく嫌な居心地の悪さを感じながら、駐車してからどうするのか聞きました、しかし沈黙があるだけでした。
彼はエンジンを止め、私の顔をみるとセックスについて幾つかの質問をました。私は即座に自分が危険な状況に居ることを悟り、いそいで周りを見渡しましたが誰もいません、駐車場は木に囲まれていて道路からは隠れた位置に面しています。車のドアーは開けることができず、ただ不吉な笑みを浮かべている彼の顔があるだけでした。
不吉な笑い顔を見たその後、若くて、無警戒で、恥ずかしがりやで、純真な16歳の少女に有ってはならない事が起こったのです。するべき事に満足した彼は外から車のドアーを開けると私を引きずり出し破れた衣服ですすり泣いている私をアスファルトの上に置き去りにしたのです。
私はできる限の努力で正気を取り戻し、駐車してある両親の車まで歩き出しました、長い間走ったように思えた距離はたったの1.5マイルだったのですが、ショックで全身無感覚であった私にとっては1.5マイルの距離が永遠に到達できないように遠く思えたのです。
車に到達し、乗り込み、そして家に帰りました。家族が誰もいなっかったことに私は安堵を覚え、シャワーに入り体を擦り又擦りとうとうお湯が無くなり冷たい水になるまで擦り続けました、しかし、体についた汚い汚れは洗い流す事ができませんでした。
誰にも言うことはできない、自分自身の中に引きこもり抜け殻のような私でした。その後、自分自身を守るため、もう決して二度と利用されはしないと決心したのです。
神と、聖書と、そして詩が私の友達でした。学校が休みの時は自分の部屋にこもり、神が私の深い部分を癒して下さるように、神だけが知っている場所を癒して下さるようにお願いしていたのです。しかし依然として深い傷みは心の奥底に居座っていました。
強姦の被害者‐パーティー後の不幸な結末
大学も終了しアルコールで心の傷みを忘れる方法も卒業し、私は確りした精神と骨組みを求めて軍に入隊しました。自分自身を探す為、国の必要の為には死も覚悟するほどの愛国心に燃えていたからです(現在も同様です)。
私にとって軍隊の基本的訓練は苦になりませんでした。優秀な兵隊になるために精一杯努力して、命令に従い、規則を詳細に渡って調べ、行進しろと命令されれば真剣に行進し、走れと命令されれば真剣に走り、基本的訓練を簡単に突破することができました。個人上級訓練に入ると、自由も増え、選択も増え、拘束されることも少なくなりました。
基地内には兵隊の為のクラブがあり、私はそのころから同じ兵舎にいる友人達とダンスをする為にクラブに集うようになったのです。ダンスをすればするほど未だに心の中で化膿している傷のうずきを忘れるように感じたからです。クラブが閉まった後兵舎に戻る為に私は15分は早く兵舎に戻れる近道の林の中を歩くことにしました。そして酔った兵隊グループに出会ったのです、一人きりで林の中を歩いている女性を、酔っ払ったグループが見逃すはずはありません。
私は彼らの顔を決して見ることがありませんでした。倒された私に彼らが襲い掛かっている間、現実に起きていることから自分自身を守ってくれる別の世界に逃げ込んだのです。彼らが去るときに聞こえてきた悪魔のような笑い声は26年過ぎた今も心の奥底に止まっています。
強姦の被害者−傷みの癒し
この時点で二度も強姦の被害者となった私は被害者の体験から怒りを覚えて…神と信仰から離れてしまっても当然だと思っている人もいるでしょう。いいえ、全く違います!神はいつも私と一緒にいて下さいました。なぜこのようなことが私の人生に起きたのかについて、答えることはできません。しかし神は御自分のために人生に起きる全てのことを用いて益として下さることを私は知っています。
二度にわたる悲惨な経験は私自ら選び取ったわけではありません、しかし強姦に関わった彼らは現在の私を築く結果となりました。神は私が神の言葉と神の愛と、神の許しと、神の恵みを女性たちに届けたいと言う熱い願望を与えて下さったのです。
イエス・キリストに生涯をささげる決心をした人々は、実は逆にもっと困難な道を選び取ったのです。必ず試練と苦しみがあることを受け入れなければなりません、しかし私たちは決して一人ぼっちではないことを知っているので喜びと希望があります。究極の勝利者は神であります、ですから私たちも同じように究極的な勝利者であると約束されています。
私を襲った彼らを許してから長い年月が過ぎ去りました。神が誰かを用いて彼らの過去を神の栄光で満たして下さるように祈っています。彼らが神の招きを受け入れて、持っている悪い思いを捨て去り、私と同じように神の永遠を分かち合えることができるように。
希望を見出す