性的虐待の被害者‐生きがいのある人生は可能ですか?
性的虐待の被害者であるあなたは、過去に勝利したら生きがいのある人生を送れるとでも言うのですか?と疑問に思っているかもしれません。答えははい!はい勿論できます!
次のような言葉を聞いたことがあるでしょうか、“自分が良いと思うなら、そうすれば良い”。あなたはこのような生き方をしていますか?愛の確認が欲しくて自分自身の満足のために努力しているとしたら、未だに虐待の傷があなたの生き方に関わっているのかも知れません。そんな生き方があなたの人生ではありません!
もしかしたらあなたは既に、人生は過去に起きた出来事を越えてもっと大切だと感じているかもしれません。性的虐待の被害者として、私は心の空虚さを知りました。愛と容認を深く求める心がどんな気持ちであるかも知っています。
啓蒙思想の哲学者パスカルは、全ての人間には、神の形をした穴のような吸い込まれる場所があり、そこを埋めることのできるのは神だけである、と言っています。性的虐待の被害者の人生が変えられた話を、あなたは聞いたことがありますか?過去の苦しみから解放されたいと願っていますね!変えられて人生に勝利したいと願っていますね!
性的虐待の被害者‐願望を理解する
あなたの願いは、パスカルの表現している吸い込まれるような空洞が埋められることではないですか。 神だけがその空洞を無償の愛で受け入れて埋めることができるのです。これ以上のことを求める必要はありません。神はイエス・キリストという人間となってその生涯をおくり、神の愛を私たちに知って欲しいと願われました。そして、私たちを“わたしの愛する者”と呼ばれたのです。聖書の第一ヨハネ3:1を読むと、“わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。” 私たちが神を信じるとき、神はありのままの私たちを受け入れて下さいます。
性的虐待の被害者‐被害者から克服者となるには?
あなたは性的虐待の痛みの問題を克服することができます!ワクワクするようなニュースだと思いませんか?どのようにして克服するのでしょう?先ず第一に、神を信じる時、新しく変えられるという約束を信じてください。イエス・キリストのゆえに、新しく造りかえられるのです!第二コリント5:17では、“だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである。”神の言葉が、私たちは克服したと言っています:“悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい”(ローマ人12:21)。神はそのことを既に終えられました、そしてありのままの私たちを愛して下さいます。
性的虐待の被害者であるあなたは、多くの困難を通られたことでしょう。新しく造りかえられた人生を歩むとは、小さな子供が歩く練習をするのと同じように一歩づつ前進します。
肉体的に受けた傷は生きている限り消えることはないでしょう。しかし神の約束は、何時も私たちと共にいて私たちを決して捨てない.“…わたしは、決してあなとを離れず、あなたを捨てない”(ヘブル人13:5)。過去の記憶が戻り、感情的に暗い絶望に陥ると時、神があなたと一緒にいて下さいます。心理的な怒りに苦しみ罪責感に陥る時、神があなたと一緒にいて下さいます。
性的虐待の被害者として、愛と容認に関してあなたの思考と感情を調整するのは難しいでしょう。なぜなら、感情と闘い、涙を流し、心と魂をズタズタにされた過去の体験があるからです。しかしあなたには希望があります。
なぜなら神は御子を私たちのためにこの世につかわされた(ヨハネの福音書3:16)、ですから私たちは神の目には大切で価値があるのです、虐待された者としてこの概念を頭の中で纏めることは困難でしょう‐しかし被害者の立場から勝利者の立場になる為には非常に大切な真理です。
克服の重要性は愛と容認が癒される鍵であると認識することです。自分だけの考えでは‐むしろ絶対にできない!と言えます。マタイの福音書19:26では、“…人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない。”
もっと学んでみましょう!