自分の人生が大嫌い‐拒絶感
またバスルームの床で目を覚ましました。私に飽き飽きした友達は去り、また一人ぼっちです。“自分の人生が大嫌い、”長い間そう思ってきました、何時も愛してもらいたい、受け入れてもらいたい、そう願っていたことを覚えています、しかしそれとは反対に冷笑され、容姿も悪く、“思考が欠如している”私は最終的に他の人と関係を持つことができないので、一緒に時間を過ごしてくれる人は誰一人いませんでした。
自分の人生が大嫌い‐愛と容認を熱望する
どうしてこんな事になってしまったの?可愛くない、背が高すぎる、新しい学校の友達と比べると何か劣っていたので皆とうちとけることが出来なかったのです。新しい学校での拒絶感は私の心に傷を残し人生にも影響しました。次の年再び別の新しい学校に移り、今度は拒絶される前に自分から皆を拒絶する常識外れの行動に出たのです、なぜならまた皆私を嫌うことが分かっていたからです。この世から消えてしまいたくても、また明日が待っている、私は実に反抗的でした。
中学になると隠れてしまいたい思いは強くなりました。しかしその年、私はプールで水泳に夢中になり、その結果髪がグリーンに変色してしまったのです、とび切り背が高くグリーンの髪をした私を想像して見て下さい、何と呼ばれたかもうお分かりでしょう。この事も理由となり、できれば穴の中に潜り込んだままでいたかったことを覚えています。私の中学、高校時代はこんなものでした。
いつも愛されたい、受け入れてもらいたいと心の奥から泣き叫んでいる反面、そんなことは絶対あるはずがないと信じてもいました。家族以外に誰も私の存在に心をとめる人はいません、また時々家族に対しても疑問を持つことがありました。
自分の人生が大嫌い‐大学生活での過ち
高校卒業後、両親に大学進学を勧められたわたしは、スーパー落第生だったので勿論大学など考えもしませんでした。しかし両親の勧めを受け入れた私は、人生で初めて目標を定めたのです。受け入れてもらい、人気者になるのだ、どのようにしてその目標を達成するかは皆目見当がつかなくとも誰が心配するものですか。その結果、人気者と言う意味でなく私の名は知れ渡ることになったのです。
成長期、両親は土曜日の夜になると小さなパーティーを開き、日曜日は教会に行く生活をしていました。その結果私は飲酒する人もアルコールも毛嫌いしていたはずです、しかし大学に入ってそれは一変しました。入学したその秋、人気者の男子学生が友達を通して私をバーに誘ってくれたのです。行きたくなかったけれど、友達をつくる良い機会でした。バーではコークを飲んで、彼等は自分たちの飲みたいものを飲めばよいのだから、しかし彼等の計画は、おとなしい新入生を酔わせることでした。彼らの計画が達成し、私は完全にわが身を失ったのです。自分を制御する代わりに、その日から私はアルコールに支配されるアルコールの虜になったのです!人生で初めて男性との会話を楽しみ、彼らの仲間として受け入れられたように感じ、酔って楽しむ次のパーティーが待ちきれなくなっていました。
その秋の終わり頃、私は何歳か年上のハンサムな青年から交際を申し込まれました。彼に誘われたことは私にとってとても光栄で嬉しかったことを覚えています。しかし、もし彼の計画を知っていたならばそのようには思わなかったはずです。その夜わたしは彼と肉体関係を持ちました、それ以来私の存在は、彼の恋人の都合が悪い時の特別な遊びの代物となったのです。それだけでなく他の男子学生の欲求の為に利用されるようにもなりました。そのうち自分自身に嫌気がさし、男性を憎み、大学終了近くになると自慢の大酒のみと尻軽女として知れ渡りました。どちらにしても人気者になった訳です。ハッハッ?